大河ドラマで平安時代が空前の大ブームですね!
平安時代と聞くと多くの人が優雅でのほほんとした生活を送っていたと想像すると思います。
しかし実際はその「雅」の裏に隠された見えない戦いや争いに苦労していたそうです!!
それを語ってくれたのが、
大人気仏閣博士ちゃん・丸山裕加さんと、
またまた大人気着物博士ちゃん・水野さあやさんです!
一体平安時代はどんな暮らしぶりだったのか、その「NOT雅」な生活を見ていきましょう!
国風文化の開花
大河ドラマなどから得た情報などで、
我々のイメージするいわゆる「日本らしい」と思う文化があると思いますが、
実はそれらは平安時代のものばかりだそうです!
平安時代以前は大陸から取り入れた文化をただまねていただけ。
しかし平安から日本独自の文化「国風文化」が生まれ、
”日本らしさ”が花開いた時代だと言われています。
平安時代のモーニングルーティーンがツライ!
ルーティン1帝の目覚めの合図が太鼓!
起床は日もまだまだ登らない朝3時!
ドーン響わたる和太鼓で起こされます。
なぜ3時?かと言うと、
この時代は魔物がいると信じられていました。
その魔物たちは丑三つ時(午前2時)まで活動しているとされていたので、
彼らが寝静まる3時に天皇の住まう御所の門が開くというのです。
ですのでその時間に合わせて起床をするらしいのですが、
だったら午前5時でも良いのにね、と思ってしまいます。
天に向かって星の名を叫ぶ
起床したらまず最初にまだ星の出ている暗い空に向かって自分の星の名を7回唱えます。
平安時代では生を受けた時に北斗七星のいずれかの星が一人ひとりに与えられます。
北斗七星の七つの星の名は以下の通りです。
鈍狼星、巨門星、禄存星、文曲星、廉貞星、武曲星、破軍星
そして自分の星を唱えることで運気を上げていたらしいですね。
当時は科学が発達しておらず、全ては占いベースで物事を決めていたといいますから
健やかに暮らしていくためにはとても重要だったのでしょう。
毎朝日記地獄
星を7回叫んだあとは、日記を付けます。
日記と言っても昨日は楽しかった!とかではなく、
儀式や政務を記し、子孫に向けた政治マニュアルを作成する意図があるそうです。
だったらその日の夜のうちに書けばいいと思うのですが、
起き抜けじゃまだ頭が働かないでしょうにね。
毎朝おかゆカロリーゼロ地獄
毎朝の朝食は決められていて、すべてお粥だったそうです。
しかも量も少なく味もうすい。
当然満たされるわけないですが、
食欲を見せることははしたないとされていたみたいです!
今じゃ考えられませんが、食料が豊富な時代じゃないですからね。
貴族と言えどなんでも好きなだけ食べれるわけではないんですね。
これはNOT雅です。
木の枝で歯磨き
出かけるまえにはエチケットとして歯を磨く。
これは平安の世も変わらないんですね。
しかし磨く道具というのが木の枝とは知りませんでした!
仏教の教えで歯を磨く習慣が生まれたそうですが、
当時は歯ブラシみたいな便利なものはないですからね。
お祈りをする前に身を清めるという意味合いもあったのでしょう。
弟子たちから口臭がしないようにお釈迦様が広めたそうです。
血だらけにならないか心配です、、、。
雅な生活にしがみつくあまり、占いに振り回されすぎてツライ
髪を洗う日は占いで決める
陰陽師が占いで次いつ髪を洗えるかを決めていたなんて衝撃です!
あんな長い髪しているのに、自由に洗えなかったんですね!
それを破ると縁起の悪いことが起きるとされていたらしいですが、
当時は今ほど衛生管理が行き届いていないでしょうから、
何週間も放っておいたらシラミとか湧きそうで怖いです、、、。
爪切りも陰陽師が決める
同じく、爪を切る日も陰陽師に決められていたそうです!
陰陽師は衛生の敵ですね、はっきり言って。
おそらく自分だけは毎日髪が洗える占いが出ていたのではないでしょうか?
歩く方向も陰陽師次第
その日の歩く方向も占いで決められる、、、。
ここまで支配されるともう考えることさえ止めてしまいそうですね。
例え職場が北にあったとしも、その方が不吉であれば
一度東の方角から自宅をでて、その後北に向かうという遠回りなことをしていたそうです。
ホント平安時代は生きづらい。。。
動物の死骸を見たら1週間自宅謹慎
死というものが周りに広がらないためですね。
平安時代では直接死と向き合うことは避けられており、
これは人の場合でも例外ではなく身内でも死を看取ることは禁じられていたそうです。
宮中で亡くなることが許されているのは天皇のみ。
子供や妃すらも許されておらず、
実家に帰って最後を迎えなければならなかったそうです。
ですので天皇は后の最期を看取ることはできなかったんですね。
ちょっとこれはツライしきたりですね。
ここまでツライ掟に誰も異を唱えることをしないなんて
陰陽師の信頼度は相当なものだったのですね。
遊びがガチ過ぎてツライ
遊びと聞くとやはり雅でゆったりとした生活を想像しがちですが、
遊びとは名ばかりで将来を決める重要な職務の一つだったそうです!
遊びが上手ければ上に行ける!
楽しんでいるように見えて実は腹の中では周りを蹴落としてやる
という気持ちでいっぱいだったんですね、、、。
恐ろしい、、。
そんな出世と人生がかかった遊び4つは以下です。
蹴鞠
その名の通りボールを蹴りますが、落としたら負けというシンプルな遊びです。
動物の皮を使って作られており、めちゃくちゃ固いそうです。
それを素足でけるなんて既に過酷ですね。
ルールも相当厳しいです。
- 終始ポーカーフェイルでやること
- 上半身は動かさない
- 膝は曲げずに蹴る
- 掛け声はアリ・ヤア・オウ
- 観客を楽しませる為に面白くける
それを鞠を落とさずにやる。無理ゲーですね。
「鞠を落とす」=「出世できない」=「人生の終わり」を意味しますからね。
緊張で足がもつれる人続出だったに違いありません。
ただ、その中で藤原成通は「蹴聖」と崇められ、蹴鞠のみで大納言まで出世したと言われています。
貝合わせ
今でいう神経衰弱のような遊びで、2枚に分けられた貝がカードのように並べられ、
対となる貝を探し当てるというゲーム。
細かな模様、大きさなどからどれが対となるかを
見極める洞察力を持ち合わせているかを見る遊び。
偏継(へんつぎ)
漢字の偏と「つくり」を組み合わせて正しい漢字をつくる遊び
シンプルに知識を試す遊びですね。
投壺(とうこ)
細い棒を壺もしくはその横の輪っかに入れる遊び。
今でも紙を丸めてゴミ箱に入れるみたいなことをやると思いますが、似たようなものですかね。
ボールではなく細い棒なのでコントロールが難しそうです。
過酷なファッションが超ツライ
頭を見せることは超恥ずかしい?
男性は常に烏帽子を常に身に着け、家族にすら頭を見せてはいけないそうです!
裸になっても烏帽子だけは脱がないといったような絵ものこっているくらい!
頭隠してなんとやら見たいな諺がありますが、
まさにそんな感じですね。
夏なんて最悪でしたでしょうね。
メイクは白ければ白いほど美しい
この時代は電気もランプもないので暗闇で良く映える白い顔が美しいとされていました。
まぁ美白は確かにキレイですし、それは分かりますよね。
ですが、恐ろしいのはココからです!
メイクに使われる白粉(おしろい)は米粉または水銀が使われていたといいます。
水銀の方が化粧の「ノリ」が良いため、そっちがよく使われていたそうです。
水銀は猛毒!
そのため女性の寿命は短かかったとか。
その当時は水銀が体に害を及ぼすとは知らなかったでしょうけど、
男性に良い印象を与えるだけでも命がけだったんですね。
髪は引きずるほど長いのが雅
髪は滅多に洗えないし、洗っても数人がかりで乾かさないといけなかったそうです。
乾かすのにほぼ丸1日かかるため、髪を洗う日は仕事の休みが与えられるほど!
この時代はドライヤーなんて物はないですからね。
白粉といい、長すぎる髪といい、
ちょっと行き過ぎですよね。
恋愛事情がややこしすぎてツライ
噂と違って振られる
貴族は独身の男女は自由に会うことが許されていなかったため、
使用人から情報を得ていたそうです。
その噂は時として誇張されることが多く、
聞いていた話とは違う!と言って振られるケースがあったそうです。
字が汚すぎると言って振られる
男女は同じ宮中内で暮らしていても住む場所が異なり、
自由に会えない上に顔も姿格好もわからない。
相手の事を判断する情報がかなり限られていました!
そのため手紙だけでその人を想像しないといけなかったので字の美しさ、
手紙の紙の質などがかなり重要視されていたらしいです!
中には手紙にお香の焚き、匂いをつけたりもしたそうですよ!
家事をしてフラれる
男性が女性に対して雅を求めすぎるがあまり、
女性は家事をすることは奥ゆかしくないとされていました。
家事は使用人がすることで、妻がご飯をよそるなんてことはありえないとのこと。
その姿を見て旦那は幻滅してしまい離婚になることがあったとか!
ちょっと何言ってるかわからないですね。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
雅を知れば知るほど煌びやかな表向きな生活とのギャップが面白いですね!
なんか「本音を言わず建前で生きる」みたいな日本人の国民性って
平安時代に作り上げられたものなのかなぁ
なんて少し思ってしまいましたね。
また丸山裕加さんと水野さあやさんで他の歴史の授業をやってほしいですね!
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