チラリストで一気に注目を集めたグラビアアイドルの琴井ありささん。
幼少期に母が蒸発し、父親は精神疾患で働けなくなり、
祖母の年金のみで超極貧生活を送っていたというのです。
今回は琴井ありささんの壮絶な生い立ちについて調べてみました。
琴井ありさ’s プロフィール
名前:琴井ありさ(ことい・ありさ)
生年月日:1994年1月1日(30歳)
出身:東京都練馬区
血液型:A型
身長:157cm
事務所:セルワールドエンターテインメント
趣味:映画鑑賞 お笑い ピアス収集 カラオケ
特技:バスケットボール 書道
琴井ありさ2歳から祖母の年金で極貧生活
琴井ありささんが2歳の頃母親が家を出て友人とルームシェアを始め、
父親がそれをきっかけに統合失調症にかかってしまったそうです。
さらに膵臓も患ってしまい入退院を繰り返すことになります。
父親は働けない体になり、収入は祖母の年金のみ。
幸い祖父の残していった家があり家賃はかからなかったようですが、
中学、高校ではバスケ部に入ってもバッシュが買えなかったり、
お弁当も白米に小魚3匹だけだったそう。
これは例え男子でもなかなかツライ経験ですよね。
下手したらいじめられてもおかしくないかも知れません。
琴井さんは、友達にはとても恵まれたとインタビューで言っていました。
それもそうかもしれませんが、琴井さんの明るさと性格の良さが
そういう友達を引き寄せたのでしょうね。
琴井ありさの母親が蒸発
琴井ありささんの母親はタイ人です。
ですので琴井さんはタイと日本のハーフになります。
顔立ちがエキゾチックなのはタイの血を引いているからなんですね。
母親はとても自由な性格だと琴井さんは言っています。
家を出て友人とルームシェアを始めたと言っていましたが、
離婚はしていなかったそうです。
友人と言っていましたが、男性と同姓と言う可能性もあるのではないでしょうか。
また離婚してしまうと永住権など法律的に問題が出てしまうという事も考えられますが
これらは全て憶測止まりなのでなんとも言えないですね。
そして年に1、2回琴井さんの家に訪ねて来ていたそうです。
ホントに自由な方なのですね。
それより我が子がちゃんと不自由なく生活できているか心配ではなかったのでしょうか。
そちらの方が不思議です。
琴井さんにとっては母親というか親戚の人という感覚だったそうですが、無理もない話です。
琴井ありさの父親は統合失調症
精神病にかかり、加えて膵臓まで患ってしまって以来働くことはなかったそうです。
精神状態には波があり、ひどい時は幻覚症状もあったと言います。
元々とても優しい性格な人だそうですが、何かの拍子にスイッチが入ると
家で暴れまわり家具とかも壊してまうそうです。
思春期で反抗期の琴井さんは家に帰りたくないと思いながらも、
おばあちゃんが心配で仕方なく帰る日もあったとか。
そして家の間取りの事情もあったと思いますが、
学生時代は父親と同じ部屋に寝ていたそうです。
世間のお父さんからしたらこんな親孝行な娘はいませんよね!
結局父親は琴井さんが社会人になってからほどなく病気が悪化して亡くなられたそうです。
父親の医療費はほぼ琴井さんが工面していたそうで、
他界された時は当然悲しいのは当たり前ですが、
高額な医療費の為にだけに働く日々が終わってどこか気持ちが楽になったそうです。
ですがそう感じても当然だと思いますし誰も不謹慎だなんて責められません!!
20代でやりたいことがたくさんある中医療費に消えていくだけのお金を稼ぐ毎日。
いくら家族でも大変だったと思います。
会社員とグラビアアイドルの2足のわらじ
会社員を続けながらSNSでグラビアの発信をしていたところ
今の事務所にスカウトされました。
始めは土日にグラビアの仕事で平日は会社員の2足のわらじをしていたそうですが、
それでは芸能界ではやっていけない、
と思い切って会社員を辞めグラビア一本でやっていく決意をしました。
試行錯誤の末「チラリスト」に辿り着いてバズりました!
当時まだお金もなく祖母の古い家で暮らしていたそうで、
家でSNS用の自撮りが出来る環境ではなかったため
一日中スタジオを借りて撮っていたそうです。
まとめ
今回は琴井ありささんの壮絶な極貧生活について調べてみました。
2歳から20年以上も貧乏暮らしを続けながらも逆にそれが将来良いネタになる
と明るく楽しく暮らして来れた琴井さんの人間性が素晴らしいと思いました!
今やSNSのフォロワーも10万を超える人気グラビアになり、
これからもどんどん活躍していってほしいですね!
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